私の年収がどんどん下がっていった経緯・後編 (病気で退場した件)

9/10。

(前編からのつづき)

派遣になって未来が見えないまま、惰性で何年も更新を続けてしまった私。
3年ルールで辞めさせられるかと思いきや、派遣先の上司に使えると評価されたようで、
40代を過ぎてもずいぶん長いこと居座ってました。
※ぶっちゃけ派遣会社はいろいろ抜け道知ってるので、3年ルールなんて関係ナシですわ。

だけど、問題を先送りしてると、いずれ限界って来るんですよね。。。
ある日突然、満員電車でパニック発作を発症してしまったんです。
なんなのアレ?死ぬかと思った。Σ(゚Д゚lll)
パニック発作って命に別状ないから大したことないと思われてるけど、
当人にとってはマジで死の恐怖!!!
それ以来、朝のラッシュアワーで毎回パニック発作を起こすようになり、
恐怖のあまり満員電車乗れなくなりました。(パニック発作の話はまた今度ね)

しかし私はさらにアホだったので、
「満員電車がムリなら早朝の空いてる電車で通勤すればいい」
という自分の首を締めるような解決策を思いつき、
睡眠時間を削って、早朝の電車に乗って通勤するようになりました。
ラッシュアワーを避けて、オフィスに1時間前くらいに着くようにして、
始業まで時間つぶすんです。(勝手にやってる事なので評価はされない)
あの頃はホント、通勤だけでかなり体力奪われてました。

そうやって慢性的な寝不足続きの生活を続けた結果、
加速度的に疲労が蓄積され、40代半ばのある日とうとう倒れたという。。。
なにも食べられなくなって、みるみる痩せて、立って電車に乗れないほど衰弱。

これはただごとではない!と気づいて、
慌てて病院に行ったらまんまと大きな癌が見つかり、
「これは手術一択ですね」という事態に。Σ(゚Д゚lll)

この時ですね、一人暮らしを諦めて実家に戻ってきたのは。。。
人は健康を損なうとこんなにも無力になるのか、ということを痛感しました。。。
あれを一人で乗り越えるのはムリだったと思うので、
やせ細った私をサポートしてくれた両親には本当に感謝しております。

で、事態がここまで進行してからやっと8年勤めた派遣先を辞めました。
しかも癌サバイバーになってしまったというオマケ付き。(゚∀゚)

しみじみ思うのは、
定時帰りのホワイト企業でも、耐えられないヤツはいるってことです。
同じ40代で、残業MAXで深夜まで働いてもピンピンしてる人もいるけど、
全員がそこまで体力あるわけじゃないってこと。

そんなこんなで、まあまあ命がけのところまで行ったので、
無職のまま1年ほど休憩しよう。。。と思ってたら、まさかのコロナ禍に突入ですよ。

ただでさえ、
「正社員はコリゴリ」「9-5時の派遣もムリ」「そもそも満員電車がムリ」
というトラウマ持ちだったので、なんとか家でお金を稼ごうと思って、
クラウドワークやら起業やらいろいろ挑戦したけど、
まったく芽が出ないまま3年経って今に至るというわけ。。。

やっとコロナの外出制限とかもなくなってきた今年に入ってから、
地元で最低賃金のカフェバイトを始めたりしたのは、そういう事情もあったわけです。
まあ、まさかの2ヶ月で閉店しちゃってクビになったけどね。orz

なんというか、3年もニートやればさすがに体調も回復して
「もう元気になったしまだまだ働ける」と思ったりもするんだけど、
自分の過去を振り返ってみると、雇われ仕事というのは
「平均をかなり下回ってる自分の体力をいかにやりくりするか」
という問題に尽きるんじゃないかと。。。

で、今は収入下がっても、なるべく健康を損なわないことを最優先に
仕事探ししてる次第です。
するとまあ、パート・アルバイトってことになるよね。
私が転職するたびにどんどん年収下がる方向に堕ちていってるのは、
そういうしょうもない理由からだったのでした。

でも、こういう感じで社会から脱落してるの、私だけかなあ?

にほんブログ村 その他日記ブログ 40代女性日記へ
よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

ちょっと人生やばい感じのアラフィフ自宅警備員です。
でもまだ人生諦めてないので頑張ります(゚∀゚)
Twitter:@weikichi75

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次